4.3 視聴覚重複障害のための代行技術  4.3.1 盲ろう者のための触覚を介したコミュニメーション   盲ろう障害をもつ人たちは、我が国では約2万人いることが推定されているが、その実態はあまり明らかにされておらず、また、盲ろう者支援のための技術的な観点からの研究は極めて少ない。ただし、盲ろう者と一口に言っても、視覚と聴覚の障害の程度、障害の発生時期や発生順序、受けてきた教育等の環境によって多様な障害特性を示す。盲ろう者用支援機器の開発においてはこのような障害特性を十分考慮する必要がある。  この中でも全盲・全聾の盲ろう者は視覚または聴覚を利用することができないので情報伝達のためには触覚を介する方法を取らなければならない。触覚を利用した支援方法も数多く提案されており、その具体的な内容は坂尻正次の博士論文「盲ろう者のための触覚によるコミュニケーション支援技術の開発とその評価」(東京大学、2010年9月)に詳しく述べられている。また、少し年代は遡るが、同氏による「盲ろう者のコミュニケーションと福祉用具の活用」(高齢者・障害者のための福祉用具活用の実務(追録第32-36号)、福祉用具活用研究会(編)、第一法規、pp.309-313 (2003)を参照されたい。  4章2節「コミュニケーションのための代行技術」の中の「触覚による聴覚代行」で述べたように、坂尻らは、盲ろう者のための「触覚フィードバックによる歌唱支援システム」を開発し、その評価を行っている。これは40歳のときに聴力と視力を失った謡いの教師女性(67歳)が歌う機能を取り戻すのを支援するために開発したもので、本人がもう一度、歌を歌いたいという希望に応えるものである。本システムの詳細と効果については4章2節で述べたので省略するが、40歳になってから視聴覚の重複障害になっても触覚を介する聴覚代行手段は有効な方法であることが示されている。図4.3.2に再掲したように、このことは触覚による音程フィードバック情報が脳内を経由して音声ピッチ制御のために有効に利用されていること、また、高齢化しても脳の可塑性が働くことを裏付けている。   一方、前述のように、当事者の障害がいつ生じたかによって、とくに、「先天的」か、「後天的」かでも支援の仕方は大きく異なる。両者の違いについては、中途で盲ろう者になった福島智(現:東大教授)と生まれつき三重苦のヘレン・ケラーとではコミュニケーション機能を獲得していく過程の違いから想像できる。福島と伊福部は東京大学・先端科学技術研究センターで約10年にわたり「バリアフリー分野」で共同教育研究に携わった。以下に、福島の話を通じてその違いを想像して欲しい。  <福島智とヘレン・ケラー>  福島は、9歳のときに失明し、18歳で聴力を失ったそうであるが、コミュニケーションでは彼が盲ろう者になってから母親と一緒に考案した「指点字」を使っている。指点字では、通訳者が左右3本ずつの六本の指を使って福島先生の同じ指に重ね、その指の背を軽く叩いて情報を伝える優れた触覚コミュニケーションの方法として、この分野では世界中に知れ渡っている(図4.3.3)。   盲ろう者と一口に言っても、幼児の時に三重苦になったヘレン・ケラーと中途で盲ろう者になった福島とでは言語獲得の仕方は大きく違う。実際、福島は「確かに目と耳の両方に障害があるという点ではヘレン・ケラーと同じだ。しかし、そのことを除けばヘレンとの共通点はきわめて少ない」と言っている。ヘレン・ケラーの場合には、通訳者のサリバン女史の口、鼻、喉などを手で触って得る情報を手掛かりに、言語や抽象的な概念をゼロから獲得し、脳の中に蓄積していった。サリバンを介したコミュニケーション方法を指導したのは電話を発明したとされている有名なグラハム・ベルである。   一方、福島の場合、子供のころは見聞きできたので言語や概念は既に脳の中に保存されていた。しかし、文字も音声も徐々に受け取ることができなくなったことから折角獲得した記憶や概念を利用できなくなった。彼は「テレビを楽しんで見ていたら突然画像が消えてしまい、仕方がないからテレビから出る声や音楽などの音を楽しんでいたら、それも消えてしまったという感じでしょうか」といっている。情報量の変化で考えると、ヘレン・ケラーはゼロの状態から出発し徐々にプラスにしていったのに対し、福島は情報量がプラスだったのがゼロに近くなり、その後、指点字を介し再びプラスにしていったということができる。このように何歳の時に視覚や聴覚の機能を失ったかによって、脳の発達の仕方も変わってくる。   なお、福島は東京大学の博士論文「福島智における視覚・聴覚の喪失と『指点字』を用いたコミュニケーション再構築の過程に関する研究」(2008)を書いている。また、これは著書「盲ろう者として生きて −指点字によるコミュニケーションの復活と再生−」(明石出版、2011年)著しているので参照されたい。(文責 伊福部 達)