5.産業化への道 5.1 感覚代行の役割と位置付け  産業化を論ずる前に、感覚代行の役割と位置付けを明確にしておくことが不可欠である。感覚代行は、図5.1に示したように、「健康寿命の延伸」とりわけ「治療による生命維持」を大きな目標とする医療工学と異なり、障害が生じても快適な生活が送ることができるようにする福祉工学と大きく関わる。すなわち、障害を補助し代行する「身体補完」や「生活補完」を旨とし、「社会参加」し易くすることを目的としている。ただし、人工内耳や人工網膜など医療工学とは切り離して考えることはできないものも感覚代行の範疇に入る。  最近は、医療技術の進歩や食生活の改善により長生きする人たちが急増しているが、最新医療でも治癒できないことから、視・聴覚が衰えたり失ったりしたまま長い余生を送らなければならない人たちも増えている。障害があっても、「快適な生活」を送り、「生きがい」を持って過ごすのを助ける技術への要望は大きくなっており、それに応える意味でも感覚代行は重要な役割を果たす。  ただし、医療技術とりわけ人体を改造する治療技術とは異なり、「感覚障害」を支援する感覚代行の場合は人間を改造するという立場を取らない。では、何を支援するかというと、図5.2の右図に示したように、それには二つのアプローチがある。ひとつは、視・聴覚機能が著しく衰えても、生活する住宅や環境を変えて住みやすくするという「生活機能の支援」という立場であり、生活の「バリアフリー化」といえる。もう一つは、メガネや補聴器のように、装置を身につけて感覚機能を支援するという「身体機能の支援」という立場である。両方とも重要であるが、ここでは主に身体機能の中でも感覚機能の支援の方法について述べている。言うまでもなく、感覚から入った情報で脳が働き、その結果、運動が発現するというように、感覚は情報が循環する身体システムの一部であり、それだけを切り離して支援方法を追究することはできない。 5.2 感覚を生体システムの一部として捉える  身体機能を情報が循環するシステムという視点でとして捉えたのは、アメリカの数学者で生物学者、哲学者でもあったノバート・ウィナー(Nobert Wiener, 1894〜1964)が提唱した「サイバネティクス(ギリシャ語で「舵取り」の意味)」によるところが大きい。  ウィナーの『サイバネティックス』は、著書の副題で「動物と機械における制御と通信」と示しているように、制御と通信における「情報」の役割を明確にし、情報が体内で循環することにより機能の恒常性、すなわちホメオスタシス(Homeostasis)を保っているとしている。このアナロジーを根拠にして動物の感覚や手足の制御機構を説明しようとしている点こそが、古典的な人間機械論とは根本的に異なる。  図5.3の上図に示したように、ウィナーはヒトなどの動物と自動機械に共通する「計測(感覚)」-「情報処理(脳)」-「制御(運動)」の3つの要素からなるシステムを船の「舵取り」になぞらえている。  実は、失われた感覚を、類似する情報機械の機能で置き換えるという感覚代行の発想も、その頃に生まれている。ただし、感覚代行を真に役に立つものとして実用化する道はパターン認識技術や各種センサの発展のように順調ではなかった。むしろ、最近になって、その問題の根の深さがやっと見えるようになってきたという段階である。一方、図5.3の下図に示したように、動物と機械を共に3要素からなるシステムとして捉えることで、そのアナロジーに基づいた2つの研究分野が生まれている。  一つは、失われたり衰えたりした感覚機能を情報技術で支援しようという方向である。これは急速に発展し続けている音声、文字、画像などの自動認識技術を活かす方向である。もう一つは、動物やヒトの優れた感覚機能をヒントに新しいセンサを作り出すという、生理学を工学に活かす方法である。ここからヒトの感覚・神経系をモデルとするパターン認識や人工知能などが生まれ、現在に至る。最近は、この2つの方向がループを描き、工学から医療へ、医療から工学へと相互に最新の情報や技術が行き来して、新しい相乗効果が生まれてきている。  例えば、優れた人工の感覚やパターン認識機能ができれば、それらを人間の機能の再建に活かすことができるので、その価値観は医療と同じになる。逆に、優れた人工の感覚はロボットやVR(バーチャルリアリティ)で使われるセンサやディスプレイにも活かされる。このように、感覚代行は医療工学とロボット工学を結ぶ双方向性がある。ただし、人間とロボットの感覚機能が似ているといっても、その進化の過程は大きく異なる。本章の底流の主張でもあるが、感覚代行ではその差異を意識して設計や開発に取り組むことが不可欠である。  なお、世界保健機関(WHO)が2001年の提唱に基づけば、身体機能の障害を補助するという観点だけでなく、コミュニティ内で生活する上で必要な「情報獲得」、「コミュニケーション」、「移動」の3つを支援する医療・福祉技術の開発が優先されるべきである。この3つの課題は、図5.4に示したように、それぞれ「感覚」、「脳」、「運動」に対応させて考えることができ、この中でも感覚機能の果たす役割は大きい。 5.3 感覚における可塑性と代償機能  もうひとつ感覚代行において考慮すべき重要なことは、生体とくに脳には可塑性があり、その可塑性により、失われた機能を代償する能力が育つという視点である。この代償機能の例は枚挙にいとまがないが、聞くことに障害があると視覚でそれを代償しようとし、見ることに障害があるとそれを聴覚で代償する能力が高まる。この代償機能は進化の過程で使われなくなった機能が可塑性によって蘇ったものである場合が多い。  ヒトが胎内から出てくるまでに経る「個体発生」は、ヒトになるまでに経てきた進化の過程すなわち「系統発生」を繰り返すという視点に立つと、進化の過程で獲得した機能が潜在的にヒトにも存在する。従って、潜在的に持っているヒトの能力を引き出し、それを生かすという視点を常に意識することが不可欠となる。ただし、このような可塑性は、若年者と高齢者では変わってくるし、若年者でも「先天性」か「後天性」かによっても変わるので、そのことを踏まえて感覚代行の研究・開発に取り組まなければならない。 「先天的」と「後天的」の違いについては、中途で盲ろう者になった福島智(1962−、現:東大教授)と生まれつき三重苦のヘレン・ケラー?(Helen Adams Keller、1880?-?1968)とではコミュニケーション機能を獲得していく過程から想像できる。福島とヘレンケラーにおけるコミュニケーションの獲得の違いについては、4章3節で触れている。 5.4 若年者と高齢者との違い  図5.7に示したように、日本は世界に先駆けて超高齢社会に急速に向かっていることから、聴覚や視覚の機能が著しく衰えたまま長い老後の生活を続けなければならない高齢者の割合も増えており、その支援は急がなければならない。高齢者支援の課題は「社会保障費の増加」や「労働者人口の減少」という観点からも重要になってきており、それを解決する感覚の福祉工学への期待も大きくなっている。高齢化というのは、障害者への漸進的な移行に他ならないことから避けて通れない問題である。とくに、高齢化による感覚機能の劣化を防ぐ医療は、他の臓器と異なり難しい面があることから非常に遅れている。その分、感覚代行への期待は大きい。  ここでまず考慮すべきことは、図5.8に示したように、高齢者と若年者とでは感覚支援の対象や方法は少なからず異なることである。若いときの障害者を支援する福祉工学は、「バリアフリー」とも呼ばれている。若年者の多くは感覚機能が弱ったり失ったりしても、それを補うための可塑性や適応能力が十分に期待でき、それによる代償機能が働く。若年障害者を支援する場合、その機能をいかに生かすかが重要になる。  それに対して高齢化に伴う感覚障害を支援する「ジェロンテクノロジー」は未だ取り組みが始まったばかりと言える。高齢者の場合は感覚障害に陥るまでに獲得した知識や経験を持っているので、それにうまく適合するように支援機器を開発することが重要になる。なお、ジェロンテクノロジーとバリアフリーを総合して両方を包含する概念を「ユニバーサル・デザイン」という。  一般に、ジェロンテクノロジーの場合には、文字のサイズを大きくしたり、音を大きくしたりするとか、あるいは複雑な操作が必要な機器をより多くの高齢者が使えるように単機能化するという方法をとる。その結果、マーケットの拡大も図れるというのが一般的な考え方である(図5.9の左)。  それに対して感覚のバリアフリーの場合は、見聞きしにくい、見聞きできない人たちを支援する研究開発から出発する。マーケットが小さいので研究者や開発者も少なく、産業化しづらいという問題がある。 5.5 感覚代行の福祉工学的なアプローチ     このように感覚代行の重要性は認知されつつあるが、それも含めて福祉工学そのものには依然として2つの大きな壁がある。以下に、この2つの壁について述べ、私見ではあるが、それを乗り越えて産業化につながるような1つの方法論を示す。 (1)基礎科学の曖昧さと産業化の難しさ(図5.10)  例えば、耳の聞こえが悪くなると、音を増幅して耳に伝える補聴器が一般に使われるが、実際には耳が遠くなったことに加えて、言葉を理解する脳の機能も変わってくる場合がある。今までは、脳の機能がどのように変化するのかが分からないまま、聴覚・言語支援のための機器の開発をしてきた面がある。このことは聴覚に限らず、感覚・コミュニケーション機能や運動器の制御など生体機能の支援全般にいえることであり、これらの支援機器の開発にあたっては脳の生理学を避けて通ることはできなくなる。  しかし、感覚刺激そのものが無数にあるので、刺激と脳や運動との関連づけの研究も無数になり、生体システムの全貌を把握するための研究は限りなく広がる。物理学なら未知の現象でも理詰めで仮説を立てることができ、その仮説が実験により厳密に実証されるというように発展し、最終的にはいくつかの物理方程式に集約される。  さらに、生体システム自体が身体や環境の変化でダイナミックに変わるが、それがどのように変わるかという法則も良く分かっていない。このように拠り所となる科学が曖昧なことが、感覚代行だけでなく福祉工学全般が育ちにくい大きな理由である。  もう一つの理由は、たとえ首尾よく福祉技術で感覚障害を支援するのに有用なものが開発されたとしても、それを使う人たちの数、すなわちマーケットがあまりにも小さいので、企業は手を出しにくいという点である。工学は、基礎となる科学と、出口としてのマーケットがあって初めて成り立つのであるが、この両方がない状態が未だに続いている。今までは、少人数の研究者と零細企業の信念と努力により細々と進められてきた分野といえよう。  しかし、福祉機器の開発に携わっている者は、ある機能に障害を負ってしまった人たちに「感覚や脳のメカニズムが解明されるまで機器の設計を待って欲しい」とか「解明されていないので設計できない」ということはできない。ここに次に述べる方法論を導入するのが、福祉工学の一つの生き方であろう。 (2)循環する「ナゾ解き」と「モノづくり」という方法(図5.11)  その方法論では、まず、感覚−脳−運動における障害部位とりわけ感覚情報処理メカニズムの仮説を立てて、それを基に機器の設計と開発に進む。当事者に使ってもらって、あまり役に立たなければ、なぜ役に立たなかったかを調べる基礎研究へ戻り、仮説を修正し、その仮説を基に再び機器の改良を進める。「仮説の修正」と「機器の改良」を繰り返す過程から支援機器が役に立つものになっていく。一方では、未知の感覚や脳の機能が少しずつ見えてきて、それが新発見につながることも夢でなくなる。これは感覚代行を初めとする福祉工学の螺旋的な発展のさせ方と考えている。 (3)公益性と市場性  感覚機能を支援する福祉工学研究では「障害者にとって真に有益かどうか」と「市場を通じた産業応用が可能か」の2点を評価軸として進められる。ただし、その2点は、市場メカニズムを利用した通常の産学連携タイプと、公益的・福祉的見地から行われる非市場的な技術移転タイプという一見相反するものである。  従来、支援技術は社会的弱者の福祉に関わるものであり、もっぱら「公益」の観点から開発すべきものであるから、市場原理を基本とする産学連携手法によって社会に移転することにはなじまないと考えられてきた。  社会福祉や「公益」を目的として開発された技術を、ただ単に市場原理に委ねて社会に普及させるのが難しいことは事実である。公益的な福祉技術が一般市場へ波及するという将来像を見越して技術移転を行うことは、世界的にも端緒についたばかりの状況である。感覚代行も「障害者のみを志向した、公益的な技術移転」と「膨大な高齢社会マーケットを志向した、市場型の技術移転」の双方を実現する必要がある。 (4)少品種大量型と多品種少量型  ただし、多様な感覚障害を支援する産業は、わが国の大手企業が得意とする少品種大量生産型にはなじまない。たとえ大手企業が取り組んでも、その目的が単なる宣伝であったり、また、社内の信念のある少人数の努力に頼っていたりしたため、いったんは実用化しても採算が取れないということで製造中止になることが多い。  したがって、この分野には多品種少量型の中小企業の参入が必要になる。しかし、支援産業の創出と育成はあまりにも難しいことから、小規模の企業で事業化することは困難である。そのため、産学連携による多品種少量生産型の福祉技術を育成することが、重要な意味を持つ。そして数多くの小規模企業群が生まれることによって競争原理が働き、製品のコスト・ダウンをはかるとともに、ユーザにも広く普及させるというアプローチが現実的であろう。 5.6 新しい産業へ向けて  日本では、ICTやロボットに代表される情報技術の急速な進歩と超高齢社会とが同時に到来している。それとともに障害者の中で高齢者の占める割合がこの半世紀の間に20%から65%へと急速に大きくなっている。(図5.12)高齢な感覚障害者の支援の需要はますます大きくなるとことから、感覚のジェロンテクノロジーを発展させることが求められている。  一方、感覚代行の研究が認知科学や脳科学に多くの問題を提示し、それに応えるように新しい知見や仮説が生まれてきている。そして、それを基礎にして感覚代行機器や人工感覚器が生まれ、VRやロボットのためのセンサさらにはパターン認識やAI(人工知能)に代表されるICTのための情報技術に貢献してきている。その新技術を感覚障害者に活かすことを通じて、新しい基礎的な研究テーマが生まれるというように、好循環が始まってきている。このことは遠回りのようであるが、次世代のイノベーションに繋がる可能性を秘めており、感覚障害者に真に有用な機器を提供する道が拓かれると考えている。  本文は伊福部達著「福祉工学の基礎」(電子情報通信学会編、レクチャーシリーズD-25、コロナ社、2016年)の第1章「目的と方法」を基に一部を改変し縮小したものである。 (文責 伊福部 達)